「つなげる30人」の沿革と想い

代表理事 加生健太朗

大学卒業後、通信会社にて法人営業を行った後、フリーランスとして独立。震災後、東北での行政と住民との対話の場作りを行った事を契機に、2016年から渋谷区の企業・NPO・市民・行政によるクロスセクターまちづくりプログラム「渋谷をつなげる30人」を運営し、ディレクターを務める。2022年につなげる30人を一般社団法人化し、現在代表理事を務める。2023年、株式会社ADDRIVE代表取締役を創業。

こんにちは、2022年に発足した一般社団法人つなげる30人代表理事の加生(かしょう)健太朗です。

この度は、ページをご覧になってくださり誠にありがとうございます。大変嬉しく思っています。

少し長くなりますが、これまでの「つなげる30人」の歩みをお話したいと思います。


最初に、私と地域に関するお話をさせてください。

私自身、福岡県内にある、かつて石炭産業によって発展した街に産まれ育ち、ガラの悪いイメージが県内では強い事から、その事がコンプレックスでした。

特に、片道約2時間をかけて通っていた福岡市内の中学校では、その生まれ育った街を自分の事のように馬鹿にされることがとても悔しく、恥ずかしい気持ちだった事を今でも覚えています。

高校からは、単身上京し、約25年間で約15回の引っ越しを行ってきましたが、ホームと思える街に出会う事はありませんでした。


その中で、ようやく「渋谷区」という自身がホーム感を感じられる街と出会えました。それは、これからお話する「つなげる30人」の活動を通じ「自分がそのまちづくりの中のほんの片隅を担えている感覚」を実感できているからだと感じます。

私は「つなげる30人」から、地域で生きる喜び、働く喜び、暮らす喜びを多く与えてもらいました。またこれまで国内10拠点以上の地域に「つなげる30人」を拡げ、その価値を感じて頂けました。

これからは、さらに国内外に展開し、一人でも多くの方が自身の住み暮らす街を愛し、シビックプライドを高め、各地域に「つながり」から生まれる新たなイノベーションが溢れることをビジョンとしながら、自身の40代を賭けて取り組んでいきたいと思っています。


東日本大震災復興の過程からの学び〜肩書や立場ではなく「個人」としての対話を深める事の重要性〜


東日本大震災後の2013年〜2015年の間に複数の三陸沿岸自治体の復興の過程で、様々な課題のファシリテーターとして関わらせてもらった経験が、「つなげる30人」誕生の背景に大きく影響しています。

最初に取り組んだのは、当時、行政が進めていた巨大防潮堤建設に違和感を持っていた市民の思いを、行政に届け、そして相互理解のための対話の場をコーディネートしていく事でした。

私がこのプロジェクトを通じて感じたのは、市民側も行政側も、それぞれ背負っているものがあるためどうしても「肩書」や「立場」で向き合わざるを得ず、人間同士として相互理解をするための対話の機会が不足している、という事でした。

なので、私はファシリテーターとして、市民からも、行政からも信頼される存在になれるように、一切の肩書を捨て、単なる「個人」として様々な方と向き合う事を常に意識していました。

結果、防潮堤建設に関わる方々が役職や立場を離れ、一人の人間として、どう考えているのか、何を葛藤しているのか等を話す機会を作ることに尽力し、その様子はNHKで全国放送で特集を組んでいただいたり、新聞への寄稿の機会をいただいたり、また、そのご縁で行政からの依頼でファシリテーションをする機会をいただくようになりました。


各セクターを「つなげる」人がイノベーションを加速させる。

一方、そのプロジェクトに関わった事で、様々な東北で活動する団体との出会いがありました。釜石市のまちづくり支援団体「釜援隊」や、福島でステークホルダーの対話によって高校を作り上げた「ふたば未来学園」、また、福島の原発事故避難指示区域にて住民ゼロからのまちづくりを行おうとしていた「小高ワーカーズベース」など、組織の垣根を越えた協働を目の当たりにしました。

そこで最も印象に残っているのは、その地域やまちに行政・住民・企業を「つなげる」役割を行う人やチームがいるかどうかで、地域コミュニティの活気や、事が進むスピードに差が生まれることでした。

そういう方々が、先程述べたように、「役割」や「立場」だけではなく、「個人」としての「思い」をお互いにつなげる役割を果たしていたように思います。そして、それぞれが理想的なまちの姿を描き、対話し、理解をする努力をしながらまちづくりを進めていたのです。

またこの東北と関わる中で、最も私に衝撃を与えた言葉の一つに「自立とは多様な依存先を持つことである」と言う言葉があります。これまで「依存することは悪いことだ」と思い込んでいた私にとって、非常に救われた言葉でもありました。

このような東北での経験を踏まえ、

「このようなまちづくりの仕組みを都市部でも行えないだろうか?」

「都市部でセクターを「つなげる」人財がたくさんいたら、どんなイノベーションが起こるのだろうか?」

と湧き出た思いが「つなげる30人」の原点になっています。


この7年、全国で培ってきたノウハウをさらに拡げたい


様々なご縁があり、その実証実験地として、2016年度に「ちがいをちからに変える街」を基本構想として掲げる渋谷区からスタートしました。


最初の3年間は本当に試行錯誤の連続でした。思うようなコラボレーションや化学反応が起こらなかったり、本業優先で多忙を理由にプロジェクトが頓挫したりも当然ありました。時に「単なる仲良しクラブ」と揶揄されることも当然ありましたが、「落書き消しプロジェクト」を筆頭に様々な具体的な企画が生まれました。

多くのメンバーとの対話から、「つなげる30人」の本当の価値は、「一つのアイデアの実現」ではなく、「街の同級生というフラットな関係性」であり、「そのつながりからアイデアやイノベーションが連続的に生み出していく事」にあるのだという事に辿り着きました。

また他地域展開の際も「どうせ渋谷区だから上手くいくんでしょ?」とも良く言われました。しかし、結果的に大半の国内の政令指定都市等からオファーいただき、ビジネスとしても成立できたことは自信に繋がりました。

また各地域の開催目的や運営形態も多種多様で、私達が各地域から多くのことを学ぶことが出来ました。


横展開を進めていく中で、各地域のメンバーから

・自分たちで運営をしていきたい。

・自身の地域でスタートしたいが、どう始めたらいいかわからない。

・1期は開催できたが、続けられなかった。どうしたら続けられるのか?

・自エリアのOB/OGや、全国のメンバーとつながりたい。

・他エリアがどのように開催しているのか知りたい。

・自エリアの活動やメンバーをもっと発信したい。

というような、新しいニーズが生まれてきました。


このようなニーズに応えながら、全国にもっともっと拡げていくには、どうしたら良いのか、長い期間、試行錯誤を行いました。

その結果、ノウハウを我々が独占するのではなく、新しく中立的な組織を立ち上げ、オープンナレッジとすることで、各地域の「つなげる30人」を通じたイノベーション創出や経済活動を支援するモデルが最適と考え、今回の一般社団法人設立に至りました。

12/1には法人の設立キックオフイベントをオンラインで開催し、全国からあらゆるセクターから100名を越える方々から申し込みいただき、その手応えを感じています。


最初の一歩を大きく踏み出すために

一般社団法人が5年後までに実現しておきたい状態が3つあります。


それは、

①各地域の運営が自主・自立的にされている状態

②地域を越えたメンバーのつながりをつくり、相互学習・相互支援がされている状態

③国の政策への働きかけや、グローバル展開がされている状態

です。


その状態を実現するための様々な事業を行っていきたいとと考えています。